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牛乳①

現在、専門家の間でも賛否が分かれる食材といえば『牛乳』でしょう。僕は小学生の頃、学校から帰るとおやつに牛乳とせんべいがよく出てきたことを憶えています。母親が牛乳は体にいいからと毎日のように飲まされました。自分でもそう信じていたため何の抵抗もなく飲んでいました。また、学校では給食の時に必ず牛乳が出てきて、友達と笑わせ合いながら一気飲みしていたことも思い出します。牛乳ビンから手を使わずに飲み干すなんてことにも挑戦しました。ミロやミルメークなんかも好きでしたし、ポテトチップスにも牛乳がベストマッチだと長年思い込んでいました。

しかし、今はほとんど飲みません。牛乳を混ぜたジュースやヨーグルトなんかもほぼ口にしません。しかし、完全に摂らないのではなく、チーズだったり、クリームシチューなどは口にすることもありますが、あくまで嗜好品であると考えています。それはなぜか?少し長くなりそうなので、今回は牛乳の歴史について述べておこうと思います。

日本人が牛乳を飲むようになったのは、古くだと奈良時代だと言われていますが、その頃は天皇家の食卓に上がるだけで、庶民が口にすることはありませんでした。そのまま長い月日が流れて明治になって、髪型から服装、食まで、ありとあらゆる文化が西洋近代に席巻され、牛乳も販売されるようになりました。江戸期の旗本や武士たちが、広い屋敷を利用して乳牛を飼い牛乳を販売したのです。脱サラならぬ、脱武士ですね。ところが全く売れず、庶民は端から毛嫌いするように、牛乳を嫌いました。福沢諭吉や天皇も牛乳の啓蒙につとめましたが、それでも庶民にはまったく普及しませんでした。

なぜ庶民に普及しなかったのか?それは益よりも害になることの方が多かったからだとされています。ヒトは生まれた直後は母乳に含まれる乳糖(ラクトース)を分解する必要があるため、『乳糖分解酵素(ラクターゼ)』を持っています。日本人の場合、歳を重ねるにつれラクターゼは減少し、大人になっても残っている人は30%に満たないとされます。牛乳を飲むとお通じがよくなるという人がいますが、便通がよくなったというより、軽度の食中毒をおこしている状態なのです。身体が牛乳を食べものとして認知せず、消化吸収をやめて身体からいち早く排出するために起こる症状なのです。つまり70%の日本人は牛乳を多量に摂取すると下痢や腹痛を起こす乳糖不耐症であり、日本人の食性には適していないということになります。

また、乳児で急速に発達する脳の発育にガラクトースが必要といわれています。 成人ではガラクトースはグルコースから肝臓で生成できるようになり、 摂取する必要はなくなります。 乳児においては乳糖の分解は必須ですが、 成人では必要ない、ということとなり多くのほ乳類は成長とともに ラクターゼ遺伝子のスイッチを切るような仕組みができ、 ラクターゼを作らなくなります。

この乳糖不耐症の出現頻度には人種差があり、日本人を含む東アジアの人種にはとても多いとされています。一方、ヨーロッパ、西アジア、中東、アフリカの一部の古くから遊牧を行っていた民族の末裔には成人になっても大量の生乳を分解できる人たちがいます。それは昔から加工しない生乳を飲む習慣があり、成人になってもラクターゼを分泌する獲得形質が優性遺伝をするようになった集団だからなのです。

一般的に牛乳が庶民の口にされるようになったのは、戦後の食糧難の時からと言われています。子供たちは餓え、栄養失調は社会的な問題でした。そこで当時のフーバー大統領の指示で、ダグラス・マッカーサーやクロフォード・サムスによって学校給食が開始されました。それにより日本人は学校給食をありがたがって受け入れることによりパンや牛乳が浸透することとなったのです。当時アメリカには小麦、大豆、コーンなどの穀類や牛乳、肉などがふんだんにありました。日本人が牛乳、肉、パンなどを常食するようになれば、輸出で莫大な利益を得ることができます。食料は常に需要がありますからね。その後、米軍撤退後、動物性食品がいかに経済的利潤をもたらすかを知った厚生省は日本人の体に合わない食料政策を進めていきました。

ですから日本人と牛乳の関係はとても浅く、食性に合っているとは言い難いものなのです。不自然なものとすら言えます。僕は今まで大量に(1リットルくらい)牛乳を飲んでもお腹をくだしたことはほとんどありません。体に合わないわけではないのですが、今後も飲むつもりはありません。長くなったので、その理由をまた栄養面から明かしていこうと思います。

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